【寄稿者:神吉宇一】

はじめに

2017年9月10日、「多文化共生社会における日本語教育研究会」において、日本語教育推進基本法に関するパネルディスカッションを行ないました。筆者はそこで、日本語教育推進基本法成立に関する影響について、「日本語教育の理念・目的に関する課題」「教育内容に関する課題」「評価に関する課題」の三点にわけて述べました。

本稿での議論の大前提には、外国人の日本語教育に関して、法整備が進み、社会的な体制整備が進むことへの大きな期待があります。しかし、これら法整備・体制整備をよりよいものにするのは、日本語教育や外国人支援に関わっている私たち自身であるという視点を忘れてはならないと思います。では、当事者としての私たちは、どのような視点から何を考える必要があるでしょうか。

理念・目的に関する課題

まず、日本語教育の提供によって、どのような社会を目指すのかという視点を常に持っておくことが重要です。外国人に対する日本語教育政策は、社会統合政策・移民政策の一環として進めていく必要があります。しかし、現状では、そのようになっていません。今般、社会統合政策・移民政策ではなく、日本語教育政策という形で議論が進むことにより、本来検討・考慮しなければならないことが置き去りにされる可能性があります。その時の課題は二点あります。

一つは、コミュニケーションとは話し手と受け手双方によって成立するものだという視点を持つことです。したがって、「外国人の」日本語学習だけを取り扱うのではなく、受け手側のコミュニケーションについても考える必要があります。

もう一つは、外国人の社会参加がうまくいかない場合の諸課題が「日本語教育の課題」に読み替えられてしまうことです。ことばは、人々の生活のすべてに関わります。ことばの問題だけを切り離して議論することはできませんが、しばしば日本語の問題だけが切り離して議論されてしまいます。

これについては、経済連携協定(EPA)における看護師・介護福祉士候補者の受け入れが典型的な先例と言えます。EPAの受け入れに際しては、受け入れ体制や受け入れ側の意識の問題、看護や介護の現場における労働環境や人材育成の問題、候補者たちの専門性(日本と出身国で求められる専門性の違い)の問題、現場で求められる能力と国家試験で問うている能力の整合性の問題等々、課題は多岐に渡るはずです。しかし、EPAによる受け入れに関しては、日本語の問題だけがことさらに強調されてしまっています。

今回の法的な整備や一連の動きによってこの課題を乗り越え、社会統合政策としてどう考えるのか、目の前の「ニーズ」に惑わされず、受け入れによってどのような社会を構想するのかということを、日本語教育関係者自身がしっかりと意識することが不可欠だと思います。

教育内容に関する課題

日本語教育に関する法的な位置付けが明確になることで、教育内容に関して「国」からなんらかの要求が高まる可能性が考えられます。

現在の日本語教育の底流には、第二次世界大戦で日本語教育が植民地支配に利用されたことへの反省があります。また、沖縄における方言札など、日本語の教育が人々の多様性を否定し、標準化されたものに同化・従属することを強いた事例もあります。このような歴史に鑑み、国の政策として日本語教育を進めていく場合には、その内容について慎重に検討しなければならないということを、日本語教育の関係者は忘れてはなりません。人々の社会参加を促進し、多様性を保持した上で自己実現を図ることのできる教育内容とはどのようなものなのか、具体的な提案を進めていく必要があります。

また、「日本語教育=言語としての日本語を教える」という考え方が一般に固定化しないようにすることも必要です。生活言語として日本語が使われている国内で学ぶ際には、社会との繋がりが欠かせません。また海外で日本語を学ぶ際に、日本に関する社会・文化的な側面を同時に学んでもらい、日本に対する理解を促進する必要もあります。具体的には、CBIやCLILのような内容を基盤とした言語教育の知見をより多く取り入れていく必要があるでしょう。

さらに、日本語教育に関わる教師の質と量の問題もあります。現在、日本語教師養成講座や大学における日本語教員養成によって、日本語教師の育成が行われています。しかしながら、どのような教師がどのくらい必要なのかという点について、明確なデータがありません。

そして、法的整備によって生み出される可能性のある「日本語教育の非専門家」についても考える必要があります。日本語教育推進基本法によって、教師の資格に関して何らかの法的な保証が行われる可能性が高いと思われます。法律によって「専門家」がオーソライズされることは、その裏返しとして、地域で活動している学習支援ボランティア等が、正式に「非専門家」に定位されてしまう可能性があります。このことによって、市民レベルの学習支援が縮小されてしまうことは、外国人の社会参加にとって大きなマイナスとなるでしょう。地域のボランティア支援者の役割や効果について、改めて検討し整理する必要があるでしょう。

評価に関する課題

最後に、評価に関する課題について触れます。法律の整備により、国の施策として日本語教育の推進が図られるようになると、それに伴って事業評価が行われるようになるでしょう。事業評価は、日本語教育における学習評価とも連動しますが、そこで誰の何が評価されることになるのか、よく考える必要があります。

すでに触れたEPA事業では、「日本語能力試験N○相当」が成果指標の一つとなっています。しかし、看護・介護の仕事を専門職として進めていくにあたり、この指標が本当に妥当なのか検証は行われていません。

すでに述べたように、日本語教育の目的・目標は個人が日本語の言語事項を覚えることではありません。この社会をどのように考え、そのためにどのような教育・学習の場が必要なのかを考えなければなりません。評価の問題は、ここに直結するものであり、誰の何を評価するのか(またはしないのか)について、さらなる議論が必要でしょう。特に、外国人の受け入れによって社会や組織にプラスの効果があることを評価として出していかなければならないでしょう。

外国人の日本語教育に関して、法整備が進むことは歓迎すべきことです。日本語教育や外国人支援に関わっている私たちは、当事者としてこれらの課題に具体的な答えを出していく必要があるでしょう。法律はあくまでも枠組みです。その中身を考え、それがよりよい形で運用されるために、専門家である私たちの知見を積極的に提供することが求められていると思います。

神吉 宇一(かみよし・ういち)寄稿者

投稿者プロフィール

武蔵野大学大学院言語文化研究科准教授、公益社団法人日本語教育学会副会長、株式会社ラーンズ事業開発アドバイザー、文化審議会国語分科会日本語教育小委員会委員、文化庁委嘱地域日本語教育アドバイザーほか。主著に『日本語教育学のデザイン』凡人社(編著)、『外国人労働者受け入れと日本語教育』ひつじ書房(共著)。

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