一等賞 中国の「日本語の日」に私ができること 青島大学 王麗
- 2018/1/31
- 作文コンクール
- 1,433 comments
テーマ「中国の『日本語の日』に私ができること」
中国の「日本語の日」に私ができること 青島大学 王麗
「麗ちゃん、来週青島へ旅行に行くんだけど、よかったらちょっと案内してくれない?」
先日、日本人の友達A君から旅行の案内を頼まれました。「いろんな観光地を回りたいけど、中国語が分からなくてね」と、私をたよってきたようでした。
実は、日本語を勉強してからの3年間、私は何度もこのような依頼を受けました。「観光地に日本語の説明看板がほとんどないから、ただ見るだけで、この建物は何のために建てられたのか、この彫刻にはどんな意味があるのか、よく分からない。説明してくれる人がいると本当に助かるよ」。一緒に青島を観光していた時、A君がそう言いました。
確かに、日本人観光客がガイドブックに載っていない建物などに興味を引かれた場合、詳しいことを知りたくても、説明看板がなければ旅行の楽しみも半減してしまうでしょう。中国語の説明看板だけあっても、中国語のできない日本人観光客にはあまり助けになりません。
毎年青島へ観光に来る日本人は多いのに、残念ながら青島に日本語の説明看板が少ないのが現状です。八大関、桟橋、五四広場、ビール博物館などとても有名な観光地の中で、日本語の説明看板があるのはビール博物館だけです。
青島だけでなく、中国のほかの観光都市でも大体同じ様子です。最近中国を訪れる日本人が減少しているなか、どうすればこの近くて遠い「隣人」と心の距離を縮めることができるか、真剣に考えるべきです。
私は自分と仲間たちとの努力でできそうなこととして、観光地に日本語の説明看板をふやすことを提案します。中国を訪れた日本人観光客が日本語の説明看板を目にするだけでも、中国が日本人を歓迎していることを感じ取ってくれるのではないでしょうか。日本の友人が中国に対して心温まるイメージをいだいてくれることを願います。それほど簡単なことではないかもしれませんが、私の提案に賛成してくれる日本語学習者を集めて、みんなで一緒に努力して、12月12日に行われる「日本語の日」にその成果を展示し、日本の友人にこの新たな魅力をアピールしたら、日本人観光客の増加に少しでも役に立てるでしょう。
では、具体的にどうすればいいのでしょうか?
まず、ネットで調査を行って、日本人に人気のある青島の観光スポットを調べ、その中から人気度の高いベスト5を選びます。
次に、青島の日本語学習者からボランティアを募集します。ボランティア全員でその観光地に足を運び、中国語の説明看板がある場合はその写真を撮ります。その後グループに分かれ資料を調べたり、先生の助けを求めたりして、正しい日本語で説明文を作成します。作成したら、一つ一つの説明文に対するQRコードをつくります。
最後に、関連部門に連絡して、QRコードを説明看板につけるようにお願いします。これが出来上がれば、観光客はスマートフォンでQRコードを読み取るだけで、日本語の説明を見ることができます。
もし12月12日までにみんなの力で全部完成できたら、その日に成果を展示して、日本の友人にこの新しい魅力を紹介します。万が一できなくても、青島にいる日本の友人や中国の日本語学習者を招き、日本語・中国語講座を開いて、私たちの成果の一部を紹介することができます。日本語の上達に役立つ上に、グループ全員が一生懸命努力した姿を見せることによって、日本の友人と心をかよわせることができるでしょう。
もしこの提案が実施に移されれば、参加する人たちは楽しみながらいろいろなことを学び、日本語能力を伸ばし、いい経験になると思われます。微力な学生ですが、日本人観光客の増加に少しでも貢献できれば幸いです。
「日本語の日」には、私のこの提案を紹介し、日本の友人に観光地の新たな魅力をアピールし、「日本語の日」を実り多き日にしたいと思います。
(指導教師 張科蕾、小川郁夫)
王麗(おう・れい)
1996年、山東省出身。青島大学日本語学部3年。この作文コンクールへの参加は今回3回目で、受賞は初めて。
日本語を学び始めた当初は「日本語が好きではなかったので、勉強がちょっと苦しかった」と振り返るが、「大学3年生の時、日本語を通して多くの日本人と友達になった。だんだん日本語が好きになり、今回の作文も日本の友人に便宜を図りたいと思って書いた」という。さらに作文については「受賞するためだけに書いたら意味がないと思う。もっと重要なのはそのアイディアを実行すること」として、「これからも一層努力し、『日本語の日』に作文に書いた理想の成果を示したい」と次なる目標を掲げている。趣味は、ウクレレ。
※本文は、第13回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「日本人に伝えたい中国の新しい魅力」(段躍中編、日本僑報社、2017年)より。文 |