日本語能力試験の語彙リスト公開を 「N4って何?」と言われる前に
「骨太の方針」で外国人受け入れを拡大するなら、「やさしい日本語」の議論も必要では

政府の経済財政諮問会議は近くまとめる経済財政運営と改革の基本指針(骨太の方針)の概要を明らかにし、この中で「新たな外国人材の受入れ」を大幅に拡大する方針を示した。ここで注目すべき観点の一つは「文化と言語の違う人たちを、どのように社会に受け入れていくか」ということだ。骨太の方針とは別に、超党派の日本語教育推進議連が秋の臨時国会で日本語教育推進基本法(仮称)の制定を目指しており、外国人受け入れの環境整備と日本語教育の在り方が改めて問われることになるからだ。

今回の骨太の方針の原案に「日本語能力水準は、日本語能力試験N4相当(ある程度日常会話ができる)を原則としつつ、受入れ業種ごとに業務上必要な日本語能力水準を考慮して定める」という記載がある。

日本語能力試験(JLPT)は国内外で年間延べ100万人規模が受験する検定試験であり、国内では日本国際教育支援協会、海外では国際交流基金が運営している。これだけの規模で日本語能力を区分する適当な試験がほかにない以上、JLPTを政府基準にするのは一定の合理性があろう。

しかしながら、この試験を一般の日本人が受験することはほぼない。「N4」の試験に合格すると、どんなことが理解でき、何を語れるのか。これは日本語教育関係者でなければ知りえないことである。またJLPTには「発話」の試験がない。このため「ある程度日常会話ができる」という記載も誤解を招く恐れがある。発話の試験がないのに、どうして「日常会話」のレベルが判定できるのか。政府はこうした疑問に答える必要が出てくるだろう。

今回の骨太には、「雇用・職場」という場面で日本人と外国人との向き合い方をどうしていくのか、も盛り込まれた。一言でいえば、両者の「コミュニケーション」の問題だ。外国人に(最低でも)N4相当の日本語習得を求める以上、そのレベルがどのようなものかを日本人が理解し、コミュニケーションをすり合わせることもまた必要になる。

これは「やさしい日本語」の考え方そのものである。「やさしい日本語」の研究では、JLPTの語彙や文法・漢字などが重要な基準の一つになっている。一般の日本人が外国人向け試験について詳しく知る必要はないが、その代わりに日本人の側が「やさしい日本語」を学ぶことを通じて外国人とコミュニケーションをするようになるのが理想である。

実はここで問題になっていることがある。それは「現在のJLPTでは、語彙・文法・漢字などの出題基準が公開されていない」ということである。

「やさしい日本語」の研究が進められたころのJLPTは1・2・3・4級の4区分であり、各区分における語彙・文法・漢字などが明確に公開されており、教材作りなどに活用されていた。このデータを活用し、「やさしい日本語」における語彙基準は「(旧)3級相当」を目安とするという形で各種研究が進み、言い換えの目安などが作られた。

参考:日本語能力試験出題基準 改訂版(JF、JEES著、凡人社)
http://www.bonjinsha.com/goods/detail?id=282

しかしJLPTは2009年にN1~N5の5区分に変更された。以下は新旧比較表である。
https://www.jlpt.jp/about/pdf/comparison01.pdf

この変更に際し、旧試験での「認定基準」が、新試験では「認定の目安」とされ、具体的な語彙などが公開されなくなった。これに伴い、「やさしい日本語」の目安も現在にいたるまで「JLPT旧3級程度」という形となっており、難易度チェックシステムでも旧4区分での評価しかできていない。区分が増えた上に語彙リストが非公開となった。これが「やさしい日本語」の研究の障害となっている。

本来は区分が増えれば、「やさしい日本語」の目安設定もやりやすくなるはずである。新形式の語彙リストが公開されれば、コーパスなどとの突合せにより、会話で本当によく使われる語彙と、それがどのレベルの合格者なら分かる可能性が高いなどの研究が一気に進む。

日本語教育推進基本法が制定され日本語教育が「国の責務」となり、外国人と向き合う企業にも日本語教育を推進する努力が求められるようになると、日本人が「やさしい日本語」を使わなければいけない場面が増えてくるはずだ。JLPTはもはや学習者の力を測定するだけのものではなく、「やさしい日本語」を推進する上でも連携していくべき存在と言えよう。

国際交流基金は新形式導入時に「新しい日本語能力試験のための語彙表作成にむけて」という研究を進めており「選定の基軸は、日本語で書かれた書物を読み、話された言葉を聞いて理解するに足る語数、つまり、約1万語~1万8000語をおおよその目安とする」といった結論を出していた。
https://www.jlpt.jp/reference/pdf/2008_010.pdf

だったら学習者にとっては「目安」だという立場をくずさずに語彙リストを公開することもできるはずだ。今回の骨太に「日本語能力の水準」などが記されたことを機に、JLPT主催者はぜひとも現在の語彙リストなどの情報公開に踏み切ってもらいたい。旧型式では普通に公開していたことなのだから。

吉開 章(よしかい・あきら)寄稿者

投稿者プロフィール

やさしい日本語ツーリズム研究会事務局長、株式会社電通勤務。2010年日本語教育能力検定試験合格。会員3万人以上の日本語学習者支援コミュニティ「The 日本語 Learning Community(Facebook参照)」主宰。ネットを活用した自律学習者に詳しい。2016年「やさしい日本語ツーリズム」企画を故郷の福岡県柳川市で立ち上げ。論文・講演実績などはこちら(WEB参照)。

この著者の最新の記事

関連記事

コメントは利用できません。

イベントカレンダー

6月
12
12:00 AM 留学生対象の日本語教師初任者研修... @ オンライン(ZOOM)
留学生対象の日本語教師初任者研修... @ オンライン(ZOOM)
6月 12 2024 @ 12:00 AM – 1月 31 2025 @ 12:00 AM
日振協による文部科学省委託の初任研修が今年も始まります。 告示校で10年程度専任で経験されている方対象です。 OJTで実際の運営に関わりながら研修運営を肌で学んでいただけます。 研修詳細は協会ホームページより、チラシと募集案内をダウンロードしてご確認ください。   「日振協 留学生対象の日本語教師初任者研修」は「オンライン映像講義」「(オンライン)集合研修」「自己研修(自律的学習)」の三位一体の編成により、①自律的・持続的な成長力 ②対話力 ③専門性という3つの資質・能力の育成を目指すもので、忙しい仕事の合間を縫って学べるよう、また地方の教育機関に所属している受講生への負担を減らすため、e-Learningを利用した研修となっています。 2020年度から、この初任者研修と並行して、「育成研修」を併せて実施しています。「育成研修」は初任者研修のサポートを行いながら研修の企画や実施方法を学び、将来全国各地で初任者研修の実施担当者として活躍していただく人材を育成する研修です。具体的には以下のことを目指しています。 ①初任者教員の協働的かつ自律的な学びを支援し、21世紀に活躍できる日本語教師としての資質・能力及びICT活用能力の獲得へと導く ②研修委員に必要な経験と能力を身につける 研修は、フルオンライン(zoom使用)で実施いたします。学内で初任者の指導を任されている方、地方在住でなかなか研修機会に恵まれない方など全国各地からご参加いただきたく存じます。修了生は今後実施委員になっていただく可能性もございます。どうぞ奮ってご応募ください。 チラシ(PDF 裏表2頁/1枚)
6月
29
12:00 AM 留学生に対する日本語教師初任研修 @ オンライン
留学生に対する日本語教師初任研修 @ オンライン
6月 29 2024 @ 12:00 AM – 1月 31 2025 @ 12:00 AM
本研修のカリキュラムは文化審議会国語分科会の「日本語教育人材の養成・研修の在り方について(報告)」に基づいており、初任者が体系的・計画的に日本語指導を行うための実践的能力として (1)自律的・持続的な成長力 (2)対話力 (3)専門性 の3つの資質・能力の養成を狙いとした90単位時間のプログラムです。忙しい仕事の合間を縫って学べるよう、また地方の日本語教育機関の新任の先生方への負担を減らすため、e-Learningを利用した研修となっています。 研修形態はフルオンラインです。昨年度同様、今後日本語教師にますます求められるであろうICT活用能力(オンライン授業やハイブリッド授業の実践等)に重点を置いた研修を行います。 つきましては、ぜひ多数の日本語教師初任者の方にご参加いただきたく下記のとおりご案内いたします。どうぞよろしくお願い申し上げます。 チラシ(PDF 表裏2頁/1枚)
11月
22
7:00 PM 教室内談話: 学習者間相互交流とL... @ オンライン(ZOOM)
教室内談話: 学習者間相互交流とL... @ オンライン(ZOOM)
11月 22 @ 7:00 PM – 12月 13 @ 8:30 PM
※この講座の内容は2022年実施分に準じます。 教室内談話: 学習者間相互交流とL2学習を考える 学習者同士が互いに話し合う活動は、近年の外国語(L2) 教室には不可欠です。また、学習者同士 が学習言語で対話する活動の意義やL2 習得における効果は、外国語教育において興味深いトピッ クの1 つです。本講義では第二言語習得理論を適宜参照しながら、外国語教室で行われる学習者同 士の対話の意義や先行研究で明らかになっている効能、より効果的な実践法や課題と展望について 考察を深めます。 【全4回】 日程: 第1回:2024年11月22日(金)19:00-20:30 第2回:2024年11月29日(金)19:00-20:30 第3回:2024年12月6日(金)19:00-20:30 第4回:2024年12月13日(金)19:00-20:30 内容: 第1回:「学習者同士のL2 対話」と第二言語習得理論 第2回:「学習者同士のL2 対話」と第二言語学習 第3回:「学習者同士のL2 対話」と教師 第4回:「学習者同士のL2 対話」とこれからのL2 指導 【受講料】9,000円(税込)※1講座のみお申込み:2,500 円(税込)
11月
30
1:00 PM ビジネス日本語研究会 第38回 研究... @ オンライン(ZOOM)
ビジネス日本語研究会 第38回 研究... @ オンライン(ZOOM)
11月 30 @ 1:00 PM – 5:00 PM
テーマ:ビジネス日本語における「チームワーク」を考える 現在、外国人材を取り巻く環境が大きく変わろうとしています。日本で働く外国人労働者の増加、人材育成と人材確保を目的とする育成就労制度の創設などにより、インクルーシブな職場づくりの重要性が増しています。そこで、第38回ビジネス日本語研究会では、「チームワーク」をテーマとします。経済産業省が提唱した「社会人基礎力」のひとつである「チームで働く力」を、インクルーシブな職場ではどのように考えるのか、日本企業で採用に関わる方々のお話も伺いながら、「チームワーク」について、様々な視点から考えます。当日は多くの方にご参加いただき、活発な議論、意見交換が行われることを期待しています。 また、併せて研究発表を実施いたします。

注目の記事

  1. 有識者会議が政府に技能実習制度廃止を提言 政府の有識者会議が4月10日、外国人の技能実…
  2. 移民政策の先駆者・故坂中英徳さんを偲んで 第五話 2050年の「ユートピア」 元東京入管局長の…
  3. 衆院解散で議員生活に別れ 日本語議連の中川正春さんが引退へ 衆院が9日解散されたが、日本語教育…

Facebook

ページ上部へ戻る
多言語 Translate