「外国人労働者 骨太の方針に欠けるもの」 問われているのは政治のイマジネーション
「骨太の方針に欠けているもの」――朝日新聞が6月19日の紙面に「外国人労働者」を題材にこんな見出しの社説を掲載した。 政府の経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)が外国人の「家族帯同を認めない」ことや「在留管理の強化」をうたっていることを指摘したうえで、外国人労働者を「人間」として受け入れようという配慮が欠けているのではないか、というのだ。社説は「外国人労働者を社会の一員として正面から受け入れる姿勢が必要だ」とも説く。
急激な人口減少に伴う労働力不足で、多くの中小企業が悲鳴を上げている。地方経済も人材難で危機的状況だという。朝日新聞の社説も「正式に門戸を開く点で新たな一歩と言えなくはない」と骨太の方針の方向性については一定の理解を示している。すでに外国人受け入れの「是非」を論じる時代ではなくなっている。問われるのは、どのように受け入れるかだ。
今回の骨太の方針を受けて、建設、農業、介護など5分野の在留資格に関する出入国管理難民認定法(入管法)の改正案が秋の臨時国会に提案される見通しだ。1989年の入管法改正では日系人を「定住者」として受け入れる新たな在留資格を設けたが、今回の入管法改正はこれを上回る規模になりそうだ。政府がこれまで外国人に認めなかった分野の仕事の門戸を開くわけだ。大きな方針転換だといえる。
とは言っても、社説は「骨太の方針に欠けるもの」に懸念を示している。受け入れの枠組みを大幅に広げるのに、外国人との共生を考えていないのはどういうことか、という指摘だ。しかし、そもそも人口危機を迎える日本の将来に対して政治の側にイマジネーションが欠如しているのではないか。言葉を換えれば、政治が外国人受け入れに正面から向かいあっていないということだ。産業界から強い要望がある人材難の解消をどうするか、というような目先の話ではない。必要なのは、30年、50年先を見据えた国づくりだ。
そんなことを考えていたら、月刊誌「潮」7月号の「政治に求められるイマジネーション」と題した論考が目に止まった。筆者は毎日新聞特別顧問で政治ジャーナリストの松田喬和氏。私が政治記者、論説委員時代に大変お世話になった大先輩だ。
松田氏はその中で、小選挙区制と内閣人事局の設置によって生まれた安倍政権の「一強政治」が裏目に出た結果、「モリカケ問題」を含め政治の混迷が続いていると指摘する。そうした中で政治の流れはコンセンサス(合意)型から多数決型に移行し、安倍政権は巨大与党を基盤に、反対派や少数派の声に十分耳を傾けず数の論理で強引に政策決定を行っているというのだ。
松田氏はこのような政治状況に懸念を示し、次の時代を開くためには新しいコンセンス型の政治が求められていると主張する。国民のコンセンサスを得ながら社会的弱者に配慮した日本の将来ビジョンを描くには、政治家にイマジネーションが必要だというのだ。
松田氏はこの中で外国人受け入れ問題に触れているわけではないが、外国人問題もまた政治家のイマジネーションが試される政治課題だと思う。骨太の方針で外国人労働者の受け入れ枠の拡大をけん引したのは、自民党の厚労族の議員だと言われる。その代表格は木村義雄参院議員だ。木村氏は自民党政務調査会の労働力確保に関する特命委員会の委員長を務め、2016年5月に「『共生の時代』に向けた外国人労働者受け入れに関する基本的考え方」という文書をまとめた。私はこの木村ペーパーを評価し「ぷらっとニュース」(2017年5月19日)で詳しく紹介した。その「突破力」で新たな在留資格の創設に道を開いたと想像しているが、日本語教育など受け入れ環境の整備を含めたコンセンサスづくりを十分にしたのかどうか。
これに対し、超党派の日本語教育推進議員連盟の取り組みには、コンセンサスづくりが不可欠だ。日本語教育というテーマについて日本語議連の各党の議員は問題意識を共有し、細かな議論を積み重ねてきた。日本語教育とひと口に言っても、就学前の外国人の子供から小中高等学校の児童生徒、さらには留学生、技能実習生など実に幅が広い。それぞれの教育現場の実情から課題を拾い、将来に向けての対応策を考えることはイマジネーションが必要だ。このほど日本語教育基本法(仮称)の原案が作成でき、秋の臨時国会には法案が提出される段取りだ。
秋の臨時国会では、骨太の方針の関連法案と日本語教育推進基本法案がともに提案される見通しだ。そこではどんな論議が交わされるのか。本来なら各政党が人口減少時代の日本の将来ビジョンを掲げ、国会の論戦を通じてコンセンサスづくりに努めるべきだ。このまま人口が減少すると、生産労働人口が2050年には2000万人も少なくなるころが予測されている。問われているのは政党、政治家のイマジネーションだ。