移民政策の先駆者・故坂中英徳さんを偲んで 第五話 2050年の「ユートピア」
移民政策の先駆者・故坂中英徳さんを偲んで 第五話 2050年の「ユートピア」
元東京入管局長の坂中英徳さんの著書「入管戦記」の第九章には「二〇五〇年のユートピア」という一文がある。2050年には外国人が2000万人にまで増え、彼らと日本人が作る理想の共生社会ができる、というのだ。もちろんこれは、坂中さんが個人的に描く日本の将来の姿だ。これを読んで私は理想主義的過ぎると感じたのだが、坂中さんには彼なりの思惑があったはずだ。
同書の「ユートピア」の中の一部の「街の風景」を抜粋してみる。
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街の道路標識や店の看板は日本語と英語で表示されている。
街を走るタクシーの運転手はベトナム系やインドネシア系の人、レストランの店員はタイ系やフィリピン系の人、大きなビルやマンションのガードマンはインド系の人が比較的多い。交番のおまわりさんは日本人に次いで中国系の人が多い。このように、移民が最初に就く職業は出身国でだいたい定まっている。
病院には外国出身の医師がおり、英語やタガログ語を話す医師も配置されている。看護師は日本人も少しはいるが、その多くはフィリピン系の人である。フィリピン系の女性は明るい性格で親身になって看護するので評判がいい。
立派な建物の老人ホームを多く見かけるが、そこで介護の仕事をする人も、フィリピン系女性が圧倒的多数を占めている。老人を大切にするフィリピン系女性から心のこもった世話を受けて、高齢者たちはたいへん感謝している。
二〇〇五年、日本政府がフィリピン政府と看護師、介護士を受け入れる協定を結んで以来、着実に入国者が増え、いまでは二〇〇万人のフィリピン系の人たちが看護師、介護士として働いている。
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ここに出てくる「外国系」の人たちは日本国籍を取得しているはずだ。なぜなら日本に定住する外国人は日本に帰化すべだというのが坂中さんの持論だ。そのためには日本国籍を取得しやすい法的な仕組みが必要だと考えた。法務省入管局に入省したばかりの若いころに書いた「坂中論文」は、在日コリアンの「処遇の改善」を訴えてきた。坂中さんはその延長線上で、外国人が定住し、住みやすい社会、そのためのあるべき処遇の在り方を追究してきた。「ユートピア」をつくる前提は、外国人の「日本人化」である。
「ユートピア」とは、坂中さんにとって理想の共生社会のことだ。移民を受け入れることで、外国人と相互に理解し合える共生社会を作ることができるのではないか。坂中さんはそんな夢物語を抱いていたのだ。入管行政に関わるお堅い役人とは思えないほど、坂中さんの移民受け入れ論には熱い想いが込められている。
ただ、これは入管の行政官として外国人受け入れの難しさを実感しているからこそ、言える話ではないか。十数年前は外国人に対する偏見や差別の感情がまだまだ根強く残っていた。日本で罪を犯す「好ましからざる外国人」への抵抗感が強く、多文化共生社会のハードルも高かった。そうした状況下でも、いずれは移民社会で「好ましい外国人」が増え、「ユートピア」が出現するというのだ。
その頃には、日本社会や企業はより高度な外国人を必要とし、そうした外国人が日本を活躍の場にしたいと思わせる環境が必要になる。「ユートピア」を作るには、日本人、日本社会が変わらなければならない、とうことも坂中さんは言うのだ。
また、坂中さんは、人口減少社会では「小さな日本」か「大きな日本」かの選択を迫られると主張した。人口減少を社会として受け入れ、人口規模に合わせた「小さな日本」の国づくりをするのか、それとも、経済を低迷させないため多くの外国人労働者を受け入れて「大きな日本」を目指すのか。
現実には政府として「小さな日本」を目指す選択肢がないのはわかっていた。しかし、坂中さんは国民的議論を経て将来の方向性を示し、そのうえで日本受け入れの政策を整備することを提唱したのだ。国民の理解が何より必要だと考えたからだ。
その後の日本はどのような方向を目指しているのか。政府は「小さな日本」と「大きな日本」の二者択一的な議論はしなかったように思う。もともと政府はドラスティックな変化は好まない。むしろ徐々に軌道修正をして方向を転換するのは常道だ。
外国人受け入れは入管法の改正によって、徐々にその受け入れ枠を広げてきた。1989年に改正では日系人を受け入れる「定住者」の在留資格を整備したことで一時は日系人が30万人を超えた。2009年の改正では外国人登録制度を廃止し、外国人の住民登録する仕組みを作った。さらに2018年の改正では「外国人労働者」を正面から受け入れる特定技能の在留資格を創設した。政府は人口減少に伴う外国人受け入れの仕組みづくりを極めて慎重に進めている。
坂中さんの言うところの2050年の「ユートピア」は、どこまで実現性のあるものなのか。その答えを出すことができない。しかし、坂中さんは移民受け入れに「夢」を託し、愚直なまでにその道筋を追い求めた。そんなドン・キホーテのような入管官僚がいたことを私たちは心にとどめておきたいと思う。
(石原進)=つづく