コロナ禍で発信された「継承語ワールド」のメッセージ――多様な学びでグローバル人材の育成を
- 2021/2/8
- 時代のことば
- オンライン国際フォーラム, 名古屋入管, 在留外国人, 日本語教育推進法
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コロナ禍で発信された「継承語ワールド」のメッセージ――多様な学びでグローバル人材の育成を
新型コロナウイルスの感染拡大が多くの人の命を奪い、社会や暮らしを混乱させている。その一方でネット社会は一気に進化し、国境を超えた様々な取り組みが展開されている。「バイリンガル・マルチリンガル子どもネット」(代表・中島和子トロント大学名誉教授=略称・BMCN)主催の「オンライン国際フォーラム」もその一つだ。継承日本語教育に関わる各国・各地域の取り組みが多様なメッセージとして発信された。
まずは、継承日本語教育とは何か。まだ一般にはなじみの薄い言葉だと思う。私自身も十分に理解ができていない。「heritage language」の日本語訳として「継承語」という言葉が使われているが、「heritage」は英和辞典には「遺産」や「生来の権利」などと記されている。継承語教育には、大切な母語を親から子どもへ引き継ぎ、学ばせるという意味があると思う。専門家によると、生まれたばかり人間の赤ちゃんの脳は350グラム。17~18歳には平均で1350グラムにまで育成し、「人の脳」が形作られる。10歳から12、13歳ごろの脳が育ちざかりに頃に継承語教育を行うのが効果的という。
例えば海外で暮らす国際結婚した人が現地の学校に通う子どもに家庭内で母語(mother tongue)の日本語を教えること、と言えばわかりやすいか。移民や難民、在留外国人にとっては、異国で母語を子どもの時に学ばせることを指すのだろう。
MBCNは内外の継承語教育の先生や研究者でつくる国際的な研究グループである。メンバーには大学で教鞭をとる学者も少なくない。「国際フォーラム」は昨年10月から12月にかけて開催され、日本を含め世界の6地域16カ国で継承日本語教育に携わる関係者がオンラインで講演とディスカッションを行った。1回あたり約2時間をかけた熱い議論が断続的に6回もあり、それを総括する「全体フォーラム」も開いた。
加えて2021年1月31日には、各地域代表と日本語教育推進議員連盟会長代行の中川正春元文科相ら約20人による意見交換会をオンライン上で開催した。国際フォーラムを「言い放し」にせず、今後につなげる「成果」を出したい、そんな狙いもあったようだ。私は計8回、16時間以上にもわたる一連のフォーラムの議論を視聴した。意見交換会では発言する機会があった。
端的にいえば、フォーラムは継承語教育の意味やあり方をグローバルに議論したことに意義があったと思う。日本にルーツを持つ海外の人たち(特に母親)の子どもへの熱い想いも伝わってきた。海の向こうでは、言葉の学びに対する寛容で前向きな国が数多くあることも知った。継承語教育にはそれぞれの言語環境に応じた様々な形があり、それ自体が多様な様相を見せているように感じた。
フォーラム開催の背景には、日本語教育推進法の制定に向けてのMBCNなど関係者の果敢な取り組みがあった。推進法の原案に「継承日本語」が欠落していたため海外で署名活動が展開され、ネットを通じて世界各地から集まった署名は2週間で2000通近くにのぼった。しかも500通にはそれぞれの主張や要望がしたためられていた。
そうした声を受けて日本語教育推進議員連盟は推進法の原案を修正した。国会に提出された法案には「海外に永住している邦人の子等の日本語教育に対する政府支援」の文言が加えられた。日本語教育の施策の中に「継承語のタネ」が植え込まれたわけだ。
フォーラムは、その「タネ」をどのように育てるかを幅広く議論する初めての場となった。各国・各地域で取り組んでいる継承語教育の事例が報告され、それぞれの取り組みがカラフルに輝いているように見えた。
改めて感じたのは、欧州、南北アメリカ、豪州などの言語政策の先進性だ。移民の受け入れを通じて文化的な衝突を繰り返しながら言語政策を進めてきた歴史があるからだろう。日本は日本語を水や空気のように考えてきたのではないか。文化庁に国語課があるが、政府内には日本語課は存在しない。日本語教育推進法もできたばかりだ。言語政策では、残念ながら日本は後進国だ。
さて、継承日本語教育に日本政府はどう取り組むべきか。また、MBCNとしてどのような活動をしたらいいのか。日本語教育の知識もないのにあれこれ言うのは気が引けるが、以下、フォーラムの議論を踏まえ、感じたことを述べてみたい。
日本語教育推進法10条は日本語教育推進の基本方針の策定を文部科学大臣と外務大臣に求めており、国内の日本語教育は文部科学省、海外は外務省が所管する、と理解されている。海外では外務省の関係団体の国際交流基金(JF)が海外の日本語教育の支援に取り組み、国際協力機構(JICA)が海外協力隊として日本語教師を派遣している。各国にある日本人学校や補習授業校などで帰国を前提にした子どもの教育をサポートしているのは海外子女教育振興財団(JOES)だ。
海外日系人協会によると、世界の日系人は380万人にのぼる。このうち約30万人は南米などからUターンして日本国内に暮らしている。日本はブラジル、米国に次ぐ「日系移民大国」なのだ。また、海外には企業の駐在員やその家族、国際結婚した人もいる。日本国籍を持ちながら海外に在留する人も100万人を超える。
JFやJICAはすでに様々な日本語教育を展開しているが、BMCN関係者などが草の根的に取り組むプライベートな補習校などでの継承日本語教育については、日本政府の対応はとても十分だとは言えない。フォーラムの大きな目的は、海外で「支援の谷間」にある継承日本語教育の課題を明らかにし、その解決策を模索することだったと理解している。日本語教育推進法が施行されても、自分たちの声をどこに伝えるべきか。その道筋が見えないことへの懸念もある。
だとしたら、BMCNなどは政府との窓口の設置を外務省に求めるべきだと考える。日本語教育推進法でも海外の日本語教育を外務省が所管している。JF、JICAと草の根的な継承日本語教育の連携、協力などを調整できるのは外務省しかない。政府は関係省庁の局長クラスでつくる日本語教育推進会議を設置し、専門家から意見を聞くための関係者会議も発足させたが、これとは別に外務省自身が省内に海外の日本語教育に向き合う新たな組織が設けるべきではないか。
そもそも外交官は自身がバイリンガル、マルチリンガルのグローバル人材である。自分の子どもをグローバル人材として育てたいと考える外交官は少なくないと思う。多文化共生の知見を持つ優秀な外交官も少なくない。海外での邦人保護や文化交流などのほか、国内の外国人政策にも関わっている。BMCNなど民間の組織とパイプを持つことは、外交面でもプラスに働くことではないか。
そんなことがあれこれ頭に浮かんだのには訳がある。新聞社の政治記者、論説委員時代に安全保障を担当したこともあって、私は数多くの外務官僚と交流してきた。その中で想起した2人の外務官僚を紹介したい。
まずは小泉政権時代に文化交流部長だった近藤誠一さん。国際文化交流に関する政府の政策づくりを進めていた近藤さんとはいろいろ意見交換をした。近藤さんの問題意識は日本文化などソフトパワーによる外交で、相手国の市民に日本の良さを理解してもらおうと「対市民外交」というコンセプトを提唱した。共感した私は社説を通して「近藤プロジェクト」を応援した。
そんな縁があって、近藤さんは私が毎日新聞を退社後に発刊した「多文化情報誌・イミグランツ」(すでに廃刊)に移民問題に関する珠玉のエッセーを無報酬で寄稿してくれた。近藤さんはユネスコ大使などを歴任されたあと、文化庁長官に就任した。文化庁長官時代には私が関係した日本語教育のイベントの基調講演を気安く引き受けてくれた。
もう一人の外務官僚は現在のEU大使の藤原浩昭さんだ。外国人受け入れの国際ワークショップなどを主催する外国人課の課長時代に知り合った。3年前、約10年ぶりに再会した時の藤原さんの肩書は名古屋出入国在留管理局長だった。入管庁に出向した藤原さんは外国人課長の時から連絡を取り合う外国人支援のNPOに呼び掛け、全国で初めて管内に外国人支援団体のネットワークを発足させた。
一昨年春、名古屋入管にNPOなど市民団体の代表約20人に参加を呼び掛けた集まりで、藤原さんは「いまや国際社会で環境や人権の話を進めるのは市民団体の皆さんです」と入管局長としては意表を突くような呼び掛けをした。2018年の改正入管法で入管庁には外国人の「在留管理」という新たな仕事が加えられた。法的には「共生社会」を作る政府の先導役を担っている。それをいち早く実践したのが藤原さんだ。「我々は仲間づくりも仕事」。入管局長らしからぬ言葉が印象的に残っている。
日本国内の継承語教育はどうなっているのか。在留外国人にとっての母語教育だ。在留外国人293万人のうち定住・永住者など日本に生活の基盤を置いている外国人は半数を超える。日本語がわからないため「就学不明」となっている児童生徒は1万6000人以上にのぼるという。文部科学省は日本語教育の取り組みだけで精一杯なのかもしれない。政府の「基本方針」でも継承語教育ついては「留意する」と述べているだけだ。
そうした中で、在日ネパール人が「エベレストインターナョナルスクールジャパン」を設立するなど、在留外国人自身が母語教育に取り組む動きも出ている。在留外国人も子どもの第一言語は日本語だ。だが、国籍が違っても母語を学んでほしいという親心は変わらない。
日本国内で母語教育をきちんと受けられるようになれば、在留外国人の子どもたちも、バイリンガル・マルチリンガルのグローバル人材に育ち、日本の社会、経済の発展に寄与してくれるはずだ。在留外国人や日本にルーツを持つ海外の日系人への継承語教育を、支援というより将来への投資と考えて積極的に取り組むべきではないか。
日本は、半世紀後には人口が3分の2になり、高齢化もさらに進む。その「負のスパイラル」に立ち向かうには、海外との交流を通じてそのエネルギーを取り込む必要があると、日本政府も考えている。その際のコミュニケーションの重要なツールのひとつが継承語である。フォーラムの「継承語ワールド」はそんなメッセージを発信したように思う。
石原 進