「爺が孫に伝えた年頭のことば」 元最高裁判事が「時代遅れの国籍法」を批判
「日本国民は、自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」。国籍法11条1項の規定だ。弁護士で元最高裁判所判事の山浦善樹さんの7歳と5歳の2人の孫が、この規定によって日本国籍を失った。娘の家族に降りかかった「災禍」に山浦さんは驚き、大きな衝撃を受けた。そもそも国籍法は一般の人にとってなじみが薄い法律だが、元最高裁判事でさえも意表を突かれたのであろう。
日本は少子高齢化・人口減少社会の真っただ中にある。在留外国人が増加しているが、グローバル化に波にのって海を越える日本人も増えている。海外で暮らす在外日本人は約140万人。日本人の国際結婚もここ10年は毎年、2万から4万組もあり、永住する人も増えている。ただ、海外で暮らしていてもルーツが日本にある以上、日本の国籍を保持したいと思うのは当然だろう。しかし、日本は重国籍を認めていない。それはいまやグローバル・スタンダードになっているのに‥‥である。
ここで紹介する山浦さんの論稿は、日本法律家協会が発行している機関紙「法の支配」令和4年(2022年)年4月発行号に 巻頭言として掲載され、「国際結婚を考える会」の会報にも転載された。法律の専門家から見た法律論であるとともに、孫を思う祖父の立場からの論稿だ。
重国籍を問う「国籍はくだつ違憲訴訟」の控訴審が2023年2月23日に東京高裁で開かれる。「にほんごぷらっと」はこの訴訟が日本の国際化、共生社会のあり様に大きな影響を与えるものだと注目している。
元最高裁判事 山浦善樹さん執筆の「爺が孫に伝えた年頭のことば」は以下の通り
「問題発生!」と娘からLINEが来たのは昨年暮れのことだった。イギリス在住の娘は,5歳になる次男 の日本パスポートの期限が迫ってきたので,ロンドン領事館に更新に行ったところ,「次男本人も長男(7 歳)も日本国籍はありません。パスポートは発行できません」と言われ,びっくり。そのうえ「日本国籍を 本人の志望により放棄する」などという,まるで脅迫のような書類の提出をするように言われて,二度びっくり。二人の子どもは,少し前(2019年)に,それぞれ小学校入学や就学前教育などの関係で英国国籍を取得した。永住権ではなく国籍の取得を選択したのは,英国国民としての権利が保障されるからだ。日本法では22歳に達するまでに自分の意思で国籍を決めること(国籍法14条)も知っていた。そのときに彼ら自身の考えで選べばいいと考えていたのに,このことで,親が子どもの将来を決めてしまったと知り,我が子ながら二人に対する申し訳なさがぬぐえない,今は二人とも英国と米国の国籍をもっているが,娘としては事 前説明や意思確認の手続もないまま日本国籍を剥奪されたこと(同法11条1項)が,どうにも悔しいようだ。
この話の主人公は英国に住んでいる2人の孫だ。二人は母が日本人だから日本人として生まれ,父が米国籍だから米国人でもある(国籍法12条の国籍留保の手続をしたので誕生と同時に日米二つの国籍を取得した)。生まれこそ英国だが,両親の研究の関係で東京に住んでいたこともある。もちろん日本語を話せる。新幹線を見て「はやぶさ」だ,「やまびこ」だと言ってはしゃぎまわる。スパイダーマンやトーマスだけで はなくポケモンやドラえもんも大好きだ。子供には国境も国籍もないとはよく言ったものだ。少し前に両親が英国の大学に戻ったので,今はスカイプなどで対話をしているが,二人ともたどたどしい日本語だが祖父母を慮って日本語を使ってくれる。二人は,近いうちにまた日本に来て,いくらの寿司を食べるのを楽しみにしている。
ところがどうだ。二人の子が日本国籍を失ってしまったという連絡を受けたとき,私は「そんなことがある わけない,何かの手違いだ」と思ったが,そうではなかった。両親が英国の永住権を取得したので,英国生まれの二人の子には英国籍取得の権利が与えられた。娘夫婦の英国での研究生活はこれからも続くと考えら れたので,二人は子供の教育環境などを考慮してその手続をとった。その瞬間に日本国籍を喪失した。私は,国籍法違憲訴訟はそれなりに理解していたつもりだったが,それは他人事でしかなかった。まさか自分の孫まで,かくも簡単に日本国籍が強制剥奪されるとはうかつにも気付かなかった。自分はこれまでの経験から紛争には耐性があると自負していたが,身内のこととなるとそうはいかない。ことの経緯を聞いて,さてどうしたものか,途方に暮れたまま年を越した。でも気持を整理し,深呼吸をし,民事執行については別 の機会に譲ることにして,孫たちに襲いかかった国籍喪失事件の顛末を書いてみようと方針を変えた。特集 のテーマには似合わない内容になってしまったが,日本法律家協会の各位には,まずはお詫びを申し上げた い。
私は若い頃から,憲法典をはじめ法体系は字面にとらわれず,その背後にある天賦人権,幸福追求,万民平等,自由と平和,正義と合理性などが価値であり,あるべき市民社会を実現するための世界共通の理念の現れであり,時代や地域を超えて,人類の普遍的な目標を指し示していると考えてきた。法律家は,そういう法の使徒として,日本国内だけではなく広く世の中の変化に対して的確に対応すべく常に研鑽し,法制度の 点検と改革,そして正しい法解釈に務める責任があるという考えはこの歳になっても持ち続けているつもりだ。爺は,二人の孫に説明するため国籍について少し調べてみたが,出生による二重国籍を認める国はアメリカ,カナダ,オーストラリアなどの建国以来の移民国家は当然として,古くから近隣諸国との交流が多く互いに協力し合っているEU加盟国(フランス,ドイツ,イタリア,スペイン,デンマークなど)とイギリ ス,スイス,そして近時諸外国との交流を推し進めている韓国,フィリピン……このように世界の7割以上 の国家が(細部については多少の違いはあるにせよ)二重国籍を認めていると言われており,成人しても国籍選択義務がないのが通例のようだ。逆に,二重国籍を禁じている国としては,中華人民共和国,北朝鮮, モンゴル,インド,タイ,ブータン,エチオピア,アラブ共和国など少数派だ。日本は,誕生と同時に生ずる二重国籍はやむを得ないとするが,他国の国籍を取得したときと,成人に達してから課せられる選択義務 により,その選択によっては国籍を失うから,後者のグループに入る。 わたしは,多くの外国がそうだから日本もそうすべきだという立場で発言するのではない。昨年暮れに,二 人の孫が日本国籍を失ったという話を聞いてショックを受けた。二人はもはや日本国民としての権利保障をされないのだ。母国から排除されたといえるかもしれない。 日本の国籍法は国籍唯一の原則に固執しており,もし重複したときには,本人の志望(自由な意思)により 「国籍を選択する権利」があるなどと一見もっともらしいことを言っているが,実質的には併有してきた国 籍のいずれか一方の保有を禁止する(剥奪する)もので,これでは到底あるべき国籍制度とは言えない。もうすこし寛容な立場から見直さなければならないと,法律家のはしくれとして自身の意見を述べることが必要だと考えるに至った。もっとも,巻頭言で,そのような議論をするのではない。孫の日本国籍の喪失という予期せぬ出来事に動揺した老人が己の心の整理をして,ようやく立ち直ったという趣旨のお話しをするつもりです。
実際,国籍法に限らず,我が国の法制度と国際水準との間に大きな落差があるという意見は,頻繁に耳にする。これまでは疑問に感ずることもなく過ごしてきたけれど,国境を越えて活躍する人が多くなり,そこで 彼此の文化の違いを実感し,日本の頑固な旧弊を感じる人が多いのだと思う。私たち家族もそれと同じよう な状況に陥った。日本の法制度は適時に改正を必要とする部分が多いにも拘らず,国会が立法機関としてその責任を果たしていない状況下にあるため,裁判所が積極的に立法の不作為を指摘すべきであるという指摘が多いように感じる。最近の裁判では婚外子の相続権,婚姻禁止期間の事件などに顕著に見られるように, 我が国の立法府は国際的には一周遅れのトラック競走をしている。そのことにより多くの国民が主権者として保障されるべき文化的な生活から置いてけぼりになっているにも拘わらず,そのことに気付いていないか,或いは熱意が足りない。EU人権裁判所を訪問した際に日本の憲法裁判が話題になり,婚外子相続権に 関する違憲判決について説明すると,その裁判官が,今頃になって……という顔をしたことは忘れない。 半世紀前には戦後の疲弊した経済状態から回復し,Japan as Number Oneと言われ,その気になってビジネスだけに心を奪われているうちに,いつの間にか潮目が変わった。家族制度などの法制度に目を向けると 明治憲法を想起させるものが多く,閉鎖的でかなり陳腐化している。しかも,知の鎖国とも言われ,文化的,社会面においてもJapan Passingとなっている。国会は,憲法上,法律制定・改正の権限と責任をもつ唯一無二,最高位の専門家集団として位置づけられているが,国民が期待するほどの成果を上げていないという指摘はあちこちから聞こえてくる。見方によっては歌を忘れたカナリアで,慢性的な機能不全に陥っている感は否めない。憲法訴訟のような形で最高裁判所からボールを投げられて慌てて対応するのではなく,立 法府としては,日本の法改正が遅れている分野……例えば夫婦別姓,同性婚など家族に関する課題,女性や 外国人労働者に対する差別の解消など喫緊な諸問題,個人的には二人の孫が一日も早く日本国の国籍を回復 できるように国籍法を改正することも積極的に取り組んでほしい。国民の権利が保障され,幸福度,自由度 などにおいて,諸外国が羨ましがるような法制度を作り上げて欲しい。
◇さて本題に戻ろう。爺は,孫たちの日本国籍喪失の話を聞いて,かくも頑固な重国籍禁止政策は単なる立法 裁量の域を越えているということも可能だから,孫の訴訟代理人として憲法訴訟を提起し,国籍を取り戻そうと考えた。これまでの裁判の傾向として上告審まで数回係属して初めて判断の機が熟したとされる傾向が あるようにも思えるので,二人の孫のためだけではなく,その後に続く訴訟を含め,日本の将来を考える と,孫たちの裁判に費やす時間と費用は充分に価値があることは確かだと考えた。だが待てよ……と少し考 えて立ち止まった。孫二人は10歳未満で,人生は始まったばかりだ。二人が訴訟を提起することの可否・ 当否は爺が決めることではないのではないか。
国籍問題は急速に様相が変わっている。人々が自分又は父母が生まれた故郷を思う気持は大切で,それぞれ が祖国へのアイデンティティを大切にしながら居住する社会の一員として生活する,そういう多様性と調和 が世界的な共通認識となり,市民の生活や活動領域は国境を越え,一つの国籍に拘束される考え方は急速に 変わりつつある。また,最近話題となった真鍋淑郎博士をはじめ世界各地で優れた研究をしている方々が,自由な研究を続けるためアメリカ国籍を選んだため日本国籍を剥奪される(日本国籍を維持できない)という事態が報道され ている。ビジネス,スポーツなど多方面で活躍している人々にも,同じことが次々とおきている。娘も20年前に渡米し,同じ大学院で知り合った米国籍の夫と結婚し,二人とも既にPh.D.の学位もとり,研 究者として英国の大学の招聘を受け,共に英国永住権を取得し,国境を超えたグローバルな研究生活を送っている。生まれた子供二人も英国と米国の国籍を併有している(今回の件が起きる前には日本国の国籍も有していた)が,重国籍による不自由はまったくなかった。それが,英国国籍を取得したことの結果として, 国籍法第11条1項により,孫たちは生まれながらの日本人であるにもかかわらず,5歳や3歳という人生 のスタートで日本国籍を剥奪された。そして追い打ちをかけるように「国籍喪失届」を出すように促されたことは冒頭に述べたとおりです。日本人でなくなったから,これからは自由に爺や婆に会いに日本に来ることに支障がでるかもしれない。二人は自由に日本に来て日本の文化を肌で感じ,日本,米国,英国という国 境を越えた生き方を学ぶことは,もうできないかも知れない。彼らに,どうして日本の国籍がなくなった の? アメリカ合衆国とどこが違うの? と聞かれたら,爺はなんといって説明するのだろうか。
そうなんだ,国籍を一つに限定するルール(国籍唯一の原則)なんて,後生大事に維持するような規範で はない。二人の孫が英国籍を取得したために,自動的に(本人の意思に反して),母の生まれ故郷,爺や婆 が住んでいる日本国籍を失ったとしても,二人は,変わらずに日本という国を大切に思っている。それなのに,二人が国籍を奪われて日本人として自由に日本に戻れないことを考えると……これは爺としては納得で きない。とはいえ,剥奪された国籍を取り戻すためには,現時点では訴訟提起をするしか方法はない。そして,どのような選択をするかは,人生が始まったばかりの孫たちを差し置いて,爺が決めるのではなく,彼 ら自身の判断に任せるべきものかも知れない。彼らがもう少し成長し世界情勢を論ずる年齢になって各自が 決めるべき事柄ではないだろうか。
そうだとすると,若い二人に対して,今はしっかり勉強し,米国人,英国人或いは日本人ということではなく,世界的な視野をもつ人に成長してほしい。爺も60年前を思い出すと,そのころcosmopolitanという言 葉を知り,目の前に国際色豊かな生き方があることを知って夢が膨らんだ。爺はそれができなかったが,それと同じことが,いま私の目の前で,現在進行形で行われている。かつて移民国家がそうであった(今でもそうである)ように,これからは地球規模で国境を越える人々の交流が拡大し,異なった国から来た人々が 同じ学校,職場,地域で仲良く一緒に生活するようになる。生まれ故郷も大事にし,共同のコミュニティにも積極的に参加する時代だ。だから爺は君たちの成長を期待し,平和で豊かな人生が送れるように,己の体 力がある限り今後も研究を続け,そして訴訟代理人でこそないが,国籍に関する訴訟はもちろん,法改正の動きなどもしっかり見て,その応援をしていくつもりだ。君たちが,両親が米国の大学院で知り合ったと同じ年頃になれば,きっと父親のように颯爽とした好青年になっているだろう。そのとき日本政府が,成長した二人を見て,国籍法の改正を怠ったため,仕事や研究, スポーツなど国際的な活躍をしている大勢の人たちの日本国籍を彼らの意思を無視して次々と剥奪してきたことを悔やみ,臍を噛むだろう……。 とまれ,どういう選択をすべきか,選択それ自体が君たち自身人生そのものだから,君たちの成長に期待し たい,そういうアドバイスをすることに決めて,今年の正月を迎えた。
(終わり)